2012年12月11日火曜日

券売機と天国

質問です。



駅で切符の券売機の使い方が分からなくて困っている人がいます。

あなたは、

1.その人に切符を買ってあげますか?

2.券売機の使い方をその人に教えてあげますか?


































1の「その人に切符を買ってあげる」を選んだあなた、
残念ですが、あなたのせいでその人は貴重な時間をムダに捨ててしまうかもしれません。



もし本当にその人のためを思っているなら、次からはその人が自分で切符を買えるように「券売機の使い方を教えてあげる」はずです。
もし「切符を買ってあげた」なら、その人はその日はあなたの親切のおかげで予定の電車に乗れたことでしょう。
しかし次の日になったら、また切符の買い方が分からずに立ち往生してしまいます。切符の買い方を教えてくれる人がいないので、予定の電車に乗り遅れてしまいました。









このように、「してあげる」と「出来るように教えてあげる」とでは、同じ親切、同じ愛でも、全く違う結果をもたらします。




「切符を買ってあげる」よりも、「切符の買い方を教えてあげる」べきです。 いずれ日本で信仰生活を守っていかなければならない信徒を派遣する海外日本人教会なら、なおさら考えるべき当然の課題です。








キリストは、「私は道である」とピリポに言った。キリストは、「私は”動く歩道”である。そしてあなたが足を動かさなくてもいいようにしてあげよう」とは言っていないはずだ。




「洗礼も受けたし、どうせ天国にはもう行けるから。。。。。」




キリストは、天国街道を開通してくれました。
そして、 キリストは、あなたに天国への道案内はもう十分した、あなたは絶対に道に迷う心配はない、と言っています。
さぁ、あなたは自分の足で人生の風景を目に焼き付け楽しみながら歩きますか? それともまだ。。。









わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう
ヨハネの福音書14章






by Yuma Nakagawa

2012年12月4日火曜日

新しい地

こんにちは。


今日は僕が新しく導かれた教会、日本ホーリネス教団新井教会を紹介します。


JR中央線または東京メトロ東西線の中野駅北口から徒歩15分の場所に新井教会はあります。



右側が礼拝堂のある建物、左側は新しく出来た、食事などをするシャローム館です。

牧師は東京聖書学院の副院長です。




礼拝は招詞から始まり、新聖歌を開きながら賛美する日本の教会ではよく見られるスタイルです。
  

ハワイのように、手をあげながら元気に賛美したり、ハグしながら挨拶を交わすような光景はここではまず見られません。しかし、教会員の全員が真面目に神様を追求する姿勢は負けずとも劣りません。日本にいるクリスチャンは一人ひとりが信仰の根が強い、たくましい人達ばかりです。
 

自分も2年半前、初めて日本において半年弱生活したときに、日本の教会の雰囲気の違いに順応するのに頑張りました。閉塞感のある会堂は最初はあまり居心地が良くないかもしれません。とりわけハワイのような土地から日本の教会に来ると、ハワイの教会員の独特な暖かさを懐かしく思うかもしれません。



 しかも特に日本でははっきりって日曜日に教会に行かなくても一日を終えられるだけの娯楽とオプションがそろっています。自分の気付かないうちに、「あれ、そういえば最後に日曜日に礼拝に行ったのはいつだったっけ。」なんてこともありえるかもしれません。



日本に帰ってきた後も信仰生活を続けるには、それなりの心構え、そして神様と自分との土台関係の信仰が絶対条件です。この国で自分の信仰を守ってくれる保障はどこにもありません。帰国者の80%が帰国後数年以内に信仰から離れてしまうデータはダテではありません


しかし、「世界で一番福音が響きにくい国に使わされている祝福」が分かれば、その人は大丈夫です。国は違えど、信仰はひとつです。あなたがキリストにつながっていたいと望むなら、間違いなく神様は新しい地をあなたのために用意し、その場所を祝福してくれます。






同じ教会はこの世にひとつとしてありません。違う教会に行けば、そこには違う礼拝スタイル、違う習慣、違う教会員、違う考え方、全てが今まで慣れ親しんできた場所とは違います。


初めは、自分には合わないと思った教会でも、神様が自分のためにこの教会を選んでくださったと思えれば、必ずその教会に対して愛着がその人の心の中に湧いてくるはずです。



話は戻って、この日はちょうど地域の子供たちを招いてのクレープ祭りでした。事前に周辺の小学校などにチラシを配ってあったみたいですよ。

今年は年に5回このような子供向けプログラムを開き、各回5,60人くらい集まっていたみたいです。



今回は30人くらいだったでしょうか。それでも素晴らしい伝道ですね。しかも以前のイベントにも来たことのあるリピーターの子達が一人で教会に出掛けてきてくれるのです。

大人のスタッフだけではなく、新井教会の子供たちも自ら積極的にイベントの運営に参加している風景に感慨を覚えました。
若干小学校低学年の子達でも、次のプログラムのことを予測して、何か足りないものはないか、どうしたら教会に足を運んでくれた子達にもてなすことが出来るかをちゃんと考えています。
なたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイ5:16)」という聖書の言葉を自然に実行できています



そして、クレープ作りです。
の写真は新井教会シャローム館の内側です。コンクリート打ちっぱなしの内装が逆に今時のオシャレカフェのようなデザインとなっています。

クレープの生地は前日に教会の皆さんが150枚を一枚一枚手作りしたみたいですよ。 

最後に来てくれた子供たちが元気に、今日はありがとうございました!、と言ってお辞儀をしてから走って帰っていく様子が印象的でした。

「直接イエスキリストについて話は出来なくてもいい。まずは教会が来る意味のある場所だと言うことを知ってほしい。」という教会の人達の思いが確実に子供達に伝わっているのを感じました。

将来この子供たちが教会に来てくれる保証などは無いけれど、「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。(ガラテヤ6:9)」という御言葉を思い起こさせる一日となりました。


日本の教会の働きもハワイやアメリカに全然引けを取っていませんよ



by Yuma Nakagawa