「バスの窓 反射した先 見えたのは 飾らぬ笑顔の
我が姿」
文頭から下手な短歌を披露して申し訳ありませんでした。
バスに乗ることの多い私は、いつの車窓を眺めながら何も考えずに穏やかな時間の流れを味わうことが楽しみのひとつです。
しかし、トンネルなどに入った瞬間に窓に飛び込んでくるのは、車内の光で反射して映ったなんとも落ち着いた表情の自分の顔でした。そしてこの平安は他ならぬ救い主である神ご自身から与えられたものだと気づかされるのです。
さて、現在ホノルル教会ディサイポーズでは、新約聖書のパウロ書簡を順番にひとつづつ学んでおります。ダイナミックな内容のこの手紙シリーズを、加えてリビングバイブルの鮮やかで躍動感のある描写によって学ぶことにより、これから信仰を築き上げていく若者の私たちにきっとパンチのある良い刺激を与えてくれることでしょう。
9月22日の今回は、コリント人への手紙第一から、神の掟について先週に引き続き学ぶ時間となりました。この書簡は、前回のローマ人への手紙のようなユダヤ人全体に向けられて綴られた大まかな内容ではなく、コリント教会という特定の集合体に向けて書かれたものであり、その内容も体のよみがえりや主イエス・キリストの再臨から、正しい性に関する知識や結婚に至るまで、実に多岐に渡っています。
このシリーズの学びをリードさせて頂いている私からすれば、メンバーの皆さんも毎回非常に熱心に神の掟と真理に耳を傾けようとしている様子をみて、私も出来るだけ皆さんに興味をもってもらえるように心がけています。
このコリント人への手紙第一は、パウロが彼なりの神学や伝道論などをまとめた書物と言えるのではないでしょうか? しばしば聖書はすごく難しい内容や象徴的な表現を多用しているので、キリスト教の難読な聖典と思われがちな面も多々見受けられますが、パウロ自身はそうではないと文頭で説明しています。私たちの信じているものは、私たちが理解し得るものしかありません。しかしそれは「人が、これまで見聞きしたことも、想像したこともないほどのすばらしいことを、神はご自分を愛する者のために、用意してくださった。(コリント人への手紙第一2:9)」と書かれているとおり、私たちが作り出したものではなく、受け取ったものなのです。私たちが信じているのは、「単純で、かつ素晴らしい教え」なのです。
パウロは私たちの聖さにも言及しています。時に彼は、少々過激な言葉を用いつつも、大胆に神の掟を教えようと直向きに働いている様子を随所に見せています。私たちはいかなる時も己の聖さを保たなければならない、もし罪の虜になっているようなものがあればあなた方の中から排除しなければならない、とまで言っています。
しかしながら、同時に、「それは、信者でない人で性的な罪を犯している者、強欲な者、どろぼう、偶像を拝む者とは口もきくな、という意味ではありません。そのような人たちから離れていようとすれば、この世から出て行かなければならないからです。(コリント人への手紙第一5:10)」と、私たちの視野を広げるような言葉を、パウロは綴っています。
これは私たちには非常に重要な心掛けの一つではないでしょうか? 私たちは皆、救い主によってこの世から聖別されていることは紛れもないありがたき事実です。しかし、私たちが今生きているのは間違いなく天国ではなく、あらゆる悪魔の罪や誘惑にまみれた世俗の世の中なのです。加えて、私たちは他ならぬこの世俗の世の中に向けて神の心理を共有し、植え付けていくのです。
しかしながら、私たちにはしばしば、「クリスチャンの私がなすべきことは、常に神様の言葉だけを信じ、いつも神様に目を向け、神様がどう思われているかを考えることだ」と思います。ここまではとても素晴らしい信仰の持ち主ですね。尊敬します。
でも、こう考えたことはないですか? 「だから私は、聖書やキリスト教関連の本だけを読み、讃美歌だけを歌い、人と話している暇があればお祈りに時間を費やした方が賢いのだ。それでこそ神様に褒めて頂けるのだ」と。もしこういう人がいれば、私はお伝えしたいことがあります。あなたは落とし穴にすでに片足がはまってはいないかと。
伝道とは、ビジネスでいうマーケティングそのものです。成功をおさめるには、あなたが担当している市場を調査する必要があります。お客様から何を期待されているのか、お客様はどのようなサービスを一番期待しているのか、それらはオフィスの中にこもっていても分かりません。
ですから皆さん、この世界について良く洞察しましょう。よく学びましょう。人々が毎日どのようなことに関心を持ち、どのようなことをするのが楽しくて、どのような気持ちで毎日通勤し、帰宅するのか、知りましょう。恋愛小説、スポーツ新聞、ファッション雑誌、漫画でも、なんでも目を注いでみましょう。政治経済、芸能やエンターテインメント、グルメや観光などに目を向けましょう。お寺のお坊さん、バーのマスター、タクシーの運転手の人達とお話をしてみましょう。
それで初めて、私たちはどのように伝道すればよいか、知恵が得られるのです。
その結果、思っていた結果とかけ離れていてもいいじゃないですか、叱られることがあってもいいじゃないですか。私たちは若者なのですから、人生経験が無くて当たり前なのです。
しかし、若者らしくへこんだらウザイくらいに跳ね上がりましょう。そしてこれが自分の生き方だと見せてやりましょう。
明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。 マタイによる福音書6章34節
written by Yuma Nakagawa