2012年11月20日火曜日

握手会



日本からの投稿です。

某国民的アイドルの握手会。
見ていると目が回るほどに集まった何万人ものファン。
推しているメンバーの名前が大きく書かれたTシャツをきている人、メンバーがテレビで身につけていたのと同じグッズを身につけている人、着ぐるみを着ている人、しきりに手鏡で前髪を確認している人。
皆思い思いの格好、装飾、グッズを身につけて、何とかして自分が推しているアイドルに自分がどれだけ好きかをアピールしようと、また覚えてもらおうと必死だ。

実際に参加して思ったのは、確かにどの人もオーディションをくぐり抜けてきただけあって目の輝き、そしていわゆる「可愛さ」といったものは持ち合わせているように思える。しかし、別に特別スタイルが良く、オーラがある訳でもない。他の人間といたって一緒だ。これくらいの人なら街で見かけないわけでもない。

一つの想いが頭の中をよぎった。
「人間でさえこれだけの数の人を集められるのなら、神に出来ないことがあろうか。」

なぜ神はこのように目が回るほどに集まった人間を教会にも送って下さらないのか。
人間に、しかも若干20歳前後の少女が何万人もの人を集めることが出来るのに、全知全能の神に同じことが出来ないことがあろうか。

このことを神に尋ねた。すると返ってきた答えはこうである。

「あなたはこの人たちが一人のアイドルを推し、アピールし、愛するように、神である私を今まで愛したことがあるか。」

その時に自分の信仰を恥じた。

何万人もいるファンの中の1人である自分のことなんて覚えてくれる保証も無い、いつまでも続かない栄光のためには、一生懸命テレビやインターネットで調べて、たった5秒足らずの触れ合いのために何時間も並んで、なんとかして自分の思いを伝えようと奮闘出来るにも関わらず、全世界の主であるのに私を見つけ出し、私のことを愛し、私のために永遠にそばにいてくださる神である方には、たいして愛を示さない。

あの日、集まっていた何万人ものファンが、神に救われる日はくるのだろうか。

舞台上に立った憧れのアイドルに今、一生懸命手を振っているように、手を挙げて神を賛美する日は来るのだろうか。

ファンは何を求めて握手会に集うのか。愛か。ステータスか。思い出か。欲を満たすためか。それはまだ解らない。しかし、いずれにせよ、神が、このような聖さとはほど遠いような場所においても確かに目を留めておられることが分かっただけで、何かの手だてにはなったはずだ。そのように思いたい。

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