現在は「人生を導く五つの目的」から続けて、私たちがこの地上に存在している理由を中心に話し合いを進めています。今回はその一区切りとして、「すべてのことの意味」というテーマで皆深く考えたことと思います。
ちなみに来週からは、新シリーズの「ヨハネの黙示録」をテーマにまた趣向を変えて神を、そしてその神から私たちに与えられている使命を探求していく新たな道にまた一歩踏み出してまいります。
みなさま、あなたはなぜあなたが今いるその場所で、そのようにして生きているのですか? あなたは今呼吸をしている理由は何ですか? あなたが今ちょうどしていた事、それをなぜ今していたのですか? なぜ今このブログを読んでいるのですか?
みなさんには、「すべてのことの意味」がお分かりになるでしょうか?
もし、「そんなもん知るか。」とか、「おれ/わたしにはそんなこと関係ない。おれより今ちょうどYouTubeで面白い動画観てるんだから邪魔しないでくれ」と、今思ったそこのあなた、大変おめでとうございます。今日あなたはそれを知るからです。
あなたが今そこでそのように生きている理由は、「神がそう決めたから」,です。もっとまじめに答えが欲しいですか?
私達が普段読んでいる聖書の中には「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」という言葉があります。すべてのもの、すべてのことが今そのように生き、そのように起こっているのは、神がそのように前から決めていたからです。
そして、「あなたを贖(あがな)い、あなたを母の胎内(たいない)にいる時から形造った方、主(=神)はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。」という聖書の言葉が証明する通り、天と地を造った神は、あなたのような小さなひとりの人間を実は密かにずっと気にかけていてくれたんですね。
あなたが、「神」というものの存在を感じる瞬間は、いつですか?
神社やお寺に行って、お願い事をする時ですか?
テレビでバラエティー番組を観ていて、「あの芸人には笑いの神が降臨してるなー。」と思う時ですか?
それとも、山登りや自然の中でハイキングに行って、ここにはナウシカがいるな、っていう時ですか?
それも有りかもしれませんが、私達が一番、「神がいる」と感じる時の一つの例をさしあげます。それは、私たちの主、イエスキリストを思い、また感じる時です。なぜかというと、私たちはこのイエスキリストによって命拾いしたからです。私達には罪があったのですが、それをこのイエスキリストが赦(ゆる)してくださったのです。ですから、私たちは普段、神を礼拝したり、神に讃美歌を捧げたり、周りの知人に神のことを話してみたり(伝道)して、その嬉しさを表現しています。
私たちも初めはこんな訳のわからない神のことは何も知りませんでした。しかし、私達がそれぞれ苦しかった時、惨めだった時、もう生きたくないと思った時、声をかけてくれたのが、イエスキリストだったのです。
じゃあ、おれ/わたしはどうなんだ! こんな大変な目にあっているのに、どうせ神は自分だけ居心地のいい場所にいて、機嫌のいい時だけ人間どもに願いを叶えてやろう、とか思ってんだろう、と少し感じていませんか?
そんなあなたに今ちょうどまさにこの時、神はあなたにひとつのことを言われます。それは、「主(神)ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にあるあなたを助けることができるのである。」というものです。これもまた、聖書のなかに書かれていることばです。
神はあなたにそう言っておられます。それだけはお伝えしておきます。あなたはそんな神と共に過ごしてみたいですか? それとも無視しておきますか? どちらでも構いません。それはあなたが決めることです。安心してください。神はあなたに強制的には何もしません。しかし、もし神の問いかけに応答すると決めた時、助けをお願いするのは、神ではなく、あなたのほうからということを覚えておいてください。
神のことを思いながら日々の生活を送ることほど、麗しく美しい生き方は他にありません。あなたが幸せな生活をおくれますように私たちは応援しています。
written by Yuma Nakagawa
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