2012年5月20日日曜日

2012.5.19

五月も半ばとなりました。日本ではつつじの花が咲いている頃ではないでしょうか?
ハワイは今海の色が一番青く見える季節を迎えています。

今日のディサイポーズの学び会は史上最低参加者数を記録しました。なんと1名です(笑) 正確に言うとイエス様を入れて2人ですが。完全にデート状態ですね。

一 人一人が個人のスケジュールもありながら、教会の活動も両立していくのは本当に大変ですね。一人だけバケーション中の私ですが、正直一人となると今日はや ろうかやらないか迷いました。午前中から遠出をしていたこともありましたから、わざわざ学び会、しかもいつもと違い誰も待っていないその場所へ行こうかど うか悩みました。

しかしながら、私は神の声を聞きました。はっきりと「いいからやりなさい。」と言っているのが聴こえました。将来神に献 身するものとして、人がいないからという理由で神が与えてくれたこのディサイポーズの学び会をここで途切らすわけにはいかない、自分一人でもこの神が作っ て下さった機会を無駄にはしないという気持ちを神が与えてくださいました。

そして前回と同じ6人用のテーブルに1人で座り、祈りを捧げてから、今日の資料を読み始めました。





思 えば、一人というのは何も始めての経験では無い。今までもあった。いつだか、教会の皆さんが日本に伝道旅行に行かれた時に、自分は留守番役でひとりで約 一ヶ月間牧師館に滞在し、教会の夜の礼拝を守ってきた。あるときは、礼拝開始の5分前になっても一人も来ない時があった。メッセージのビデオを準備して、 週報と聖歌を用意して、誰か来ないか待っていた。礼拝開始の数分前に石井さん夫妻と玉井さんが様子を見にきてくれて、何とか礼拝を守ることができた。そん なような日もいつかあったな、とか思いながら。

今日学んだところのテーマは、「自分を動かしているものは何か」というものでした。
リックウォレン師は、人はいつでも何かに動かされて生きていると言っています。多くの人に見られる最も代表的な五つは、
1.罪責感
2.怒りと憤り
3.恐れ
4.お金や物
5.受け入れられたいという思い
、ということです。皆さんはどうでしょうか?


イ エス様に出会う前の私は何も原動力を有していなかった。ただ人の流れに身を任せて生きていた。自分の行きたいところにも自分の心からしたいことも出来な かった。しかし現在は神から下る一つ一つのコーリングが私の行動の根本となっている。何をするにも判断の基準は神の言葉であり、私を不安の中で勇気づけて くれるものは神の言葉である。

人間はその人生の中でたくさんの失敗を犯す。それが人間の自然な性質だからである。私もその一人であり、そ の失敗の原因はほとんどの場合、自分の度を超えた欲によるものである。その度に何度も自分の生存価値の低さに押しつぶされそうになったが、今の私には十字 架がある。そして、必ず受け入れてくれる神の家族がある。苦い過去が一つある度に、また一歩神の似姿に近づくのである。

全ての人に受けい れられたいと思うのはなぜ問題なのでしょうか?それは、偽りの自分をまとうことになるからである。自分と同じ人間はこの世にはいない。違うということは、 違う好み、視点、感性、そして理想があるのです。神がそのように造られたからです。それぞれの人間には、神からそれぞれ違った生きる目的が与えられていま す。人に自分を押しつけるよりも、自分を尊重してあげてください。

神によって生きる目的を与えられた人の人生は、よりシンプルに、より焦点の定まった有意義な人生となるのが特徴です。

今を生きる人の多くが、人生を投げやりにしています。実は聖書の中にも同じようなことを考えている人間がいました。ヨブです。「私はいのちをいといます。私はいつまでも生きたくありません。私にかまわないでください。私の日々はむなしいものです。」
あなたの人生には夢と希望が必要不可欠です。あなたが神から与えられた夢を持った時、あなたの人生はちょっとのことでは動じない、強くたくましいものに生まれ変わります。それは神によって与えられます。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」エレミヤ書29章1
1節


Yuma Nakagawa

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